月一コラム第十一弾!令和2年10月号
いよいよ今年も残すところ2か月余りとなり、だんだん秋の深まりを感じる日が増えてきました。この季節に何を思うかは人それぞれだと思いますが、私は「入学試験の時期到来」という言葉を思い浮かべます。今年度の大学受験生は、昨年度までの「大学入試センター試験」に代わる『大学入学共通テスト』がスタートすることに加え、新型コロナウイルス感染症対策など、難しい対応を迫られることになることが予想されます。私自身、中学受験、高校受験、大学受験3回と合計5回の入学受験を経験していますので、その難しさはよく分かります。受験生の皆さんには、是非、実力を充分に発揮できるよう頑張っていただきたいと思います。
一方で、私は常々入学試験、特に大学入試は何のためにやっているのかという疑問を、感じています。「学校側が、入学する学校や学部にふさわしい学生を選ぶため」というのが一応の「建前」だと思います。しかし現実には『大学入試センター試験』は全国の受験生が同じ問題を解いて、その得点が選抜に使われるにすぎないのです。結局、学校側は「ふさわしい学生を選んでいる」のではなく、「得点獲得能力の高い学生を選んでいる」だけではないでしょうか。また同じ大学内でも、例えば文学部と法学部では同じ入学試験問題を使って選抜しているので、「その学部にふさわしい学生を選んでいる」とは言えないと思います。要するに、文部科学省も学校もいろいろと工夫はされているかと思いますが、「点取り合戦」の域を出ていないというのが本当のところだと思います。「ある一定の得点」をクリアした人が入学しているにすぎません。
次に「ある一定の得点」がどうやって決まるのかについて考えてみたいと思います。その学校や学部が「〇〇点を超えたら合格」とか「数学の3番の問題を解けた人が合格」等の基準をあらかじめ設定していたら、それは「学校側が選抜している」のかもしれません。しかし実際は、点数順にならべて、最高得点者(1位)から数えて定員の人数までを合格としているだけです。結局、人気がある学校や学部の「ある一定の得点」が高くなるだけで、それはある意味「株価」と同じです。その学校や学部で学ぶのに本当に必要な学力を測定しているのではないのです。
新型コロナウイルス感染症の流行により、世の中の生活様式も大きく様変わりしました。テレワーク、オンライン会議、オンライン面接など…。これまでは入学試験に合格した人だけが、その学校の門をくぐり、その学部の授業を受けることが許されてきました。そのために学生は生まれ育った町を離れ、一人暮らしをしなくてはいけないため保護者の経済的負担が大きくなります。家庭の経済的な問題で、進学先が制限されることも多々あります。しかしオンライン授業が一般的になったことで学校、特に大学の在り方は大きく変わる可能性があります。オンライン授業を恒久的なものにすれば、学校側も入学定員(校舎のキャパシティ)を気にすることなく、全国から希望する学生の授業聴講を許可して、その学校や学部が求める能力や知識を獲得した学生のみに卒業資格を与えることができます。入学者の10分の1くらいしか卒業できない場合もあるかもしれませんが、「新しい大学教育の姿」としてそれはそれで良いかと思います。大学は「入学させる学生の選抜」に力を注ぐのではなく、「卒業させることができる学生の育成」に専念する方が、本来の大学としての役割を果たすことになるのではないでしょうか。
新型コロナウイルス感染症の流行による社会の変化を前向きに利用して、受験生の負担を軽減し、大学生がしっかり学問に励むという大学本来の姿を目指し、また真の人材育成につながるよう、文部科学省も大学も知恵を絞ってほしいと思います。
梅村 聡